韓国鉄道公社1000系初期抵抗車

1000系初期抵抗車とはソウル地下鉄1号線系統(京釜電鉄線、京仁線、地下鉄1号線、京元線)で活躍する、韓国最初の電動車である。1974年導入の鉄道庁(現:韓国鉄道公社)向け車両は日本車両・東急車輛・川崎重工・近畿車輛が製造(また、地下鉄公社(現 ソウルメトロ)向け初期抵抗車は日立製作所が製造)し、のちの増備車はノックダウンで韓国製であった。1998年から廃車が開始され既に日本製の車両は鉄道博物館の1001号車を除いて全滅。2004年6月をもって、そのJR東日本(旧国鉄)301系譲りの顔である初期抵抗車先頭車を含む全編成が引退となった。現在は経年の若い一部の中間車が1000系中期抵抗車または後期抵抗車に組み込まれて残存している。廃車になった初期抵抗車先頭車を含む編成は現在、龍山車両基地で解体待ちとなっている(2005年2月現在)。
1000系初期抵抗車は日本(主に旧国鉄)が設計した車両であり、外観・内装も103系・301系といった国鉄型通勤型車両の特徴がよく表れており、まさに「韓国版103系」または「韓国版301系」といった感じである。

なお、鉄道博物館に保存されている初期抵抗車1001号車、1115号車、1315号車の様子はこちらをご覧ください。

現役末期の頃の1000系初期抵抗車(1002F)。2004/05/16 九老にて
初期抵抗車の中間電動車。日本の103系で見られるような、「田」の字ユニット窓。当初は非冷房で、後付の分散クーラーを搭載している。交直流車のため、パンタグラフ周りは複雑。
一般的な初期抵抗車車内。内装の色使いや座席の様子、2段窓など103系や301系を髣髴とさせる。当初は非冷房であった。
異端車である(?)、初期抵抗車の1938号車。網棚パイプ付近の白ペンキ塗装を省略し、無塗装化しているほか、車端の窓の寸法などが異なる。下写真は車端窓の比較用。左が1938号車、右が一般の初期抵抗車。
ドアコック位置表示板。日本の国鉄〜JRなどで採用されているものとデサインはそっくりである。
新ドアコック位置表示板。ドアコックの使用方法も併記されている。
ドア上の現路線図の下から顔をのぞかせている相当昔のソウル近辺路線図。京元線の電鉄化区間が城北(ソンブッ)までであり、5〜8号線はおろか、4号線(3号線も?)すら開業していない。1980年〜1985年頃のものと思われる。
別の場所に張られていた昔の路線図。3号線・4号線が開業しているため、上の路線図よりも新しいもののようであるが、3号線が良才(ヤンジェ)、4号線が上渓(サンゲ)までの開業となっている。また、京元線の電鉄化区間も議政府(ウィジョンブ)までとなっている。上記の条件から判断して1985年〜1987年頃の路線図であると思われる。
京釜線龍山駅横の龍山車両基地に留置されている、廃車となった1000系系初期抵抗車。1024F(左)と1018F(右)。301系譲りの初期抵抗車の「顔」は2004年6月で引退した。
別の場所に留置された先頭車5両に中間電動車1両。右の先頭車は1040号車。1040Fは両先頭車のみ廃車され、中間車は他編成に組み込み現役。手前の車両はセマウル号のもの。
1018F(奥)。手前の初期抵抗車は1023号車。
1024F(左)と1018F(右)。先頭の1118号車(右)の正面右側の窓には「鷺梁津駅-直通-」のサボが。
貫通構造ながら営業中では見ることの出来なかった先頭車同士の顔合わせ。右は1023号車。
貨車に囲まれて留置されている初期抵抗車。

韓国鉄道公社1000系初期抵抗車走行音(望月寺→回龍)日本の103系・301系等で使われているMT55の音に似ている。
韓国鉄道公社1000系初期抵抗車走行音(済物浦→桃源)

関連ページ:儀旺鉄道博物館ソウルメトロ初期抵抗車
ソウル地下鉄1号線

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