鉄道省革命事績館

Tweet

平壌駅より「駅前通り」を南に700m程進んだところに位置する「鉄道省革命事績館」(チョルトソンヒョンミョンサジョッグァン)(住所:平壌直轄市中区域柳城洞)は朝鮮民主主義人民共和国鉄道省(国鉄)に関する博物館である。

3階建ての本館は30以上の展示室があり、橋梁建設現場の巨大ジオラマをはじめ、数々の車両・駅舎の貴重な写真、部品などが展示されている。また、隣接する「革命事績車両館」には金剛山電気鉄道の「102号」をはじめ、5両の実物車両を展示。うち3両は日本統治時代の日本製の車両で、いずれも整備が行き届き美しい姿で保存されている。

「鉄道省革命事績館」の外観。3階建てで、車寄せも備えている。
玄関の「鉄道省革命事績館」の看板。
1階のエントランスホール。
正面には平壌駅ホームにて歓声に包まれる金日成主席・金正日総書記が描かれた巨大な壁画が展示されている。
エントランホールの左側には、「偉大なる首領、金日成同志と偉大なる領導者、金正日同志が列車で行かれた革命活動行程」の文字と、両氏が列車で回った区間が点灯する地図が設置されている。地図の中の黒枠内には、金日成主席・金正日総書記各々の列車での革命活動回数(視察回数)と乗車回数が交互に表示される。
同様の装置は、錦繍山太陽宮殿の専用列車展示室にもある。
金正日総書記が訪問した駅の年表と、専用列車内で執務中の写真。
2階に上がると、山間に架かる連続コンクリート橋の建設現場を視察する金日成主席・金正日総書記の巨大ジオラマが展示されている。建設中の橋梁の上に現地指導する両氏が描かれている。このジオラマは白頭山青年線の合水駅の建設現場をモデルにしている。

パノラマモードで撮影(写真をクリックすると別ウィンドウで写真を拡大表示します)
ジオラマは半円状で、奥が絵画、手前が模型・人形で作られている。ジオラマの奥行きは13mで、人間が立体に錯覚する距離を計算して作られているとのことである。
1階の廊下。大理石を使用した豪華な内装。
1階の展示室の1つ。光復(日本統治からの解放)直後の頃の様子を展示。
「偉大なる首領が傍花駅から平壌駅まで利用した客車」として紹介されている車両。朝鮮総督府鉄道で急行「ひかり」・「のぞみ」等に使用されていた開放式展望車「テンイネ3形」である。同形の車両は韓国でも大統領専用車として過去に使用され、現在は義王の鉄道博物館に保存されている。
奇しくも朝鮮半島の南北が同じ形式の車両をVIP専用車として使用していたのである。
各階を結ぶ階段。階段の脇にも各種鉄道車両の写真等が展示されている。
2階の廊下。
2階の展示室。金日成主席や金正日総書記の鉄道に関する現地指導の様子や、当時の鉄道車両・設備・建設工事の様子等が時代ごとに展示されている。
1972年頃の金鍾泰電気機関車連合企業所の様子。
青年伊川線の建設に関する展示。青年伊川線は全長141.3kmを僅か1年半で建設した路線で、1972年10月10日に開通した。橋は44、トンネルは11ある。驚異的な速度で建設した青年突撃隊を称えて、路線名に「青年」を付けたとのことである。
金鍾泰電気機関車連合企業所を現地指導する金日成主席の展示。
1974年2月22日に、金鍾泰電気機関車連合企業所で製造された国産第1号の地下鉄電車「自主」号を現地指導する金日成主席。
国産第1号の地下鉄電車「自主」号。営業列車としてはほとんど使用されなかった幻の車両で、地下鉄道革命事績館に保存されているという。
「自主」号の内装組立中の様子。
平壌-マドンサイ 電気鉄道(電化)開通列車。
金正日総書記が視察した録音機・録音テープ・マイク・列車放送編成表。録音機はソニー製。
金日成主席の平壌駅の現地指導の様子。
各駅の時刻表を表示する装置。
内燃機関車「金星」号の金鍾泰電気機関車連合企業所での製造、及び金日成主席の現地指導の様子。
金正日総書記の現地指導に関する展示。
「鉄道省革命事績館」に隣接する「革命事績車両館」。
「革命事績車両館」の看板。
「革命事績車両館」のエントランスを入ったところ。5両の車両がコの字型に展示されている。
5両の中でも圧倒的な存在感を放つ金剛山電気鉄道(クムガンサンジョンキチョルト)のデロハニ100形102号。1931年日本車両製。二・三等客室及び荷物室を備える合造車である。

金剛山電気鉄道は鉄原(チョルウォン)〜内金剛(ネグムガン)間116.6kmを結ぶ山岳路線で、1924年〜1931年に順次開通した。架線集電方式による直流1,500V電化。軌間は1,435mm(標準軌)。
1944年には昌道(チャンド)〜内金剛 間49.0kmが不要不急線として休止となり、1945年の終戦後は残った鉄原〜昌道 間の全区間が北朝鮮側の領土となった。その後暫くは北朝鮮によって運行されていたようだが、1950年からの朝鮮戦争によって沿線が激戦地となり、戦火によって消滅した(廃止時期不明)。現在、廃線跡地は軍事境界線を跨いでおり、光三(クァンサム)〜下所(ハソ)間を境に内金剛寄りが北朝鮮内、鉄原寄りが韓国内に属する(韓国内の廃線跡の一部は、「鉄原安保観光」に参加することで見学できる)。
北朝鮮が運行していた際に金日成主席が金剛山電気鉄道にて乗車した記念すべき車両とのことで保存されている。金剛山電気鉄道には電車14両(満鉄工場・京城工場・田中車輌・日本車両・川崎車輌製)、客車1両、貨車28両が導入されたが、残存しているのはこの車両のみと思われる。
102号の前面。参宮急行2200系(旧)、新京阪P-6形に類似したスタイルとも評されるが、前面の造形はじめ新規設計された車両である。
車両寸法は長さ18,105mm(連結面間18,925mm)×幅2,795mm(客用ステップ部含めた最大幅:3,250mm)×高さ3,770mm。赤いスカートは北朝鮮に渡った後に設置されたものである。
側面から見た102号。ダブルパンタ車(製造時より)で、パンタグラフは現在赤く塗られている。客用扉は1箇所で、デッキを境に二等車と三等車に分かれている。
反対側。手前の側扉(両開き)は荷物室用のもの。
台車。軸距は2,300mm、車輪径は915mm。
軸箱には日本車両の社紋も残存している。
車体側面の銘板は潰されている。車内の銘板は探したものの確認できなかった。
「鉄原−昌道」のサボ。
三等客室の様子。ボックスシートで、2+3人掛け(デッキの壁に面した座席は2人掛け)である。座席は紺のモケット張り。2人掛けの座席の幅は785mm、3人掛けは1,166mm、通路幅は610mm、シートピッチは1,448mm。着席定員は54名。
トイレ部分。
トイレ内はタイル張りで、和式トイレと洗面台が設置されている。トイレ内の側窓は客室内と同等の寸法だが、すりガラスである。
デッキ。側扉は片開きで、開口幅は916mm。
二等客室の様子(写真奥が乗務員室寄り)。ボックスシートで、2+2人掛けである。座席は緑のモケット張り。座席の幅は965.5mm、通路幅は660mm、シートピッチは1,753mm。着席定員は16名。
乗務員室と運転台。
荷物室。三等室と乗務員室の間に設けられており、床面積は長さ2,121mm×幅2,493mm。側扉は両開きで、開口幅は1,070mm。
102号の解説プレート。

偉大な首領、金日成同志が鉄原駅で乗られた電動車102号。
主体37(1948)年9月28日


と書かれている。
凸型電気機関車のチョンギノ(電気ノ)201。案内員によると1939年日立製作所製とのこと。
チョンギノ201の前面。
チョンギノ201の車両番号銘板と、朝鮮鉄道省銘板。チョンギノのチョンギは「電気」、ノは4を意味する。
朝鮮鉄道省のマークは、朝鮮の「朝」のハングル(チウッ)と、レールをあしらったもので、現在でもこのマークが使用されている。
木造有蓋車のヤイ463。南満州鉄道(満鉄)のマークと、「ヤイ463」の車両番号が残されている(「ヤイ」はカタカナ表記)。
ヤイの「ヤ」は有蓋車、「イ」は1(イチ)を意味する。
ヤイ463の諸元表記。日本語で再現されている。
ヤイ463の車内。
ヤイ463の解説プレート。

抗日の女性英雄、金正淑同志と偉大な領導者、金正日同志が一緒に
清津青年駅(清津駅)〜平壌駅まで利用なさった有蓋車463号。
主体34(1945)年12月22日〜12月29日


と書かれている。
軽便蒸気機関車1号ナサキ型。南満州鉄道安奉線で軽便鉄道時代に使用され、その後朝鮮の价川軽便鉄道(→价川線)に転属した。アメリカ・Baldwin Locomotive Works(ボールドウィン)製。レプリカである。
价川軽便鉄道(→价川線)の木造客車。側面中央には「价川−新安州」と漢字で書かれたサボが掲出されている。レプリカである。
蒸気機関車・客車の解説プレート。

偉大な首領、金日成同志が新安州青年駅(新安州駅)〜价川駅の区間で
利用なさった機関車と客車(模造)
主体12(1923)年3月16日
主体14(1925)年1月22日


と書かれている。

原鉄道模型博物館 金剛山電気鉄道22号(1)
原鉄道模型博物館(神奈川県横浜市)にて、原信太郎氏(1919年〜2014年)が自作した金剛山電気鉄道22(竣工時及び現車両番号:102)が展示されている。
日本統治時代の当車両の資料はほとんど残っていないため、模型といえども当時の姿を知る重要な存在である。つり下げ型のタイフォンは現在は残存しておらず、
スカートや前照灯の形状も現在とは異なるのが分かる(北朝鮮で交換・改造されたと思われる)。
原鉄道模型博物館 金剛山電気鉄道22号(2)
展示全景。「朝鮮半島に存在した伝説の登山電車」の見出しで詳しい解説が載っている。
「メーカーのカタログや、撮影してきた写真やムービーをもとに製作」とあるが、もしこれらが現存していれば非常に貴重な資料であろう。

「北朝鮮の鉄道トピックス」に戻る

Tweet