営団500形B線引退車両 Pilar市内解体業者留置

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ブエノスアイレス地下鉄B線の元 営団地下鉄500形は後継車両の「CAF6000」の導入により2015年4月〜2016年2月に32両が廃車となった。32両の内訳は、300形が2両(306・328)、500形が22両(584・619・623・624・633・687・691・697・698・713・721・722・726・734・746・752・753・771・772・783・788・800)、900形が8両(903・904・911・912・915・916・917・918)である。

このうち584・734・752・771の4両は東京メトロへ里帰りした(詳細はこちら)が、残りの28両は大半が国営企業のオークションにより売却された。売却された車両は、12両程度がPilar(ピラール)市内の解体業者に、1両がPilar市内のレストランに、そして9両がNeuquén州Añelo(アニェーロ)に移送されている(残りの廃車車両の行先は不明。一部はUrquiza線のLynch駅付近で留置されている)。

Pilar市内の解体業者「Hierro Vial Pilar S.A」に売却された車両の番号は、確認出来た限りで623・624・697・698・800・918で、その他に車両番号が確認できない車両が3両程確認できた(正確な搬入車両数や既に何両解体されたかは不明)。当解体業者は解体後、鉄屑として売却することを目的に購入したものと思われる。但し2017年8月現在、解体はほぼ進んでおらず、業者の敷地内に車体だけの状態で置かれたままである。

※解体業者内の留置車両の写真はすべて敷地外より撮影

関連ページ:「ブエノスアイレス地下鉄−元 営団地下鉄500形」「営団500形 東京へ里帰り」

Retiro駅からSan Martín線で約1時間半、終点のPilar(ピラール)駅に到着。この町の外れの解体業者に「Coche Mitsubishi」(コチェ・ミツビシ)こと営団500形の廃車体らしき赤い屋根の物体がGoogle Mapの航空写真に写っているという情報を入手し、アルゼンチン入国の翌朝に早速現場へと向かった。
San Martín線Pilar駅の駅前。
駅から現場までの距離は、Google Mapによると道なりに約2.5km。少し距離があるので、駅前から頻繁に発車しているコレクティーボ(Colectivo;市内の路線バスのこと)で向かうこととする。しかし路線系統が複数あり、行先も全く分からないので、適当に乗車してGoogle Mapで現在位置を常にウォッチ。さらに行きたい方向と逸れた時点でバスを降りて歩いた。

なお、93番バスに乗ると駅から1本で現場まで行くことが出来る(帰りに乗車して判明)。
コレクティーボを降りて徒歩約15分、 解体業者「Hierro Vial Pilar S.A」の前に到着。インターネット上にこの廃車体の情報はほとんどなく、Google Mapの航空写真に写っている「廃車体らしき赤い屋根の物体」だけが頼りであり、本当にこれが営団500形なのか若干不安であった(2017年8月時点で、Googleのストリートビューには写っていなかった)。

しかし、写真左奥にご注目。当日これを発見した時の嬉しさ・安堵感はこの上ないものであった。
ああ、あなたはまさに!
期待と不安を胸に、私が探し求めた「Coche Mitsubishi」(コチェ・ミツビシ)ではないか(ドアの形状から900形と判別できる)。
幹線道路に妻面を向けて鎮座している。
少し左に目を向けると、別の車両も発見できた(乗務員扉が確認できるので500形である。車両番号は不明)。
解体業者の脇の未舗装の道路(ストリートビューも未対応)から中の様子を伺ってみる。
なんと!道路から確認できる範囲で、7両もの500形が落書きだらけの状態で眠っていた(現地搬入後に被害に遭ったものと思われる)。すべての車両は台車と切り離され、ダルマ状態となっている。
インドネシアのCikaum駅の廃車体もそうであったが、役目を終えた車両たちが固まって置かれている姿はどこか物悲しい。廃車になった32両は、一部はレストランとして活用され、そしてまた一部は幸運にも日本への里帰りを果たしたが、大半はこのように静かに最期の時を待っている状態だ。
なお、Neuquén州Añeloにも9両(当初計画では12両)が搬入され、ショッピングモールの施設として活用される予定であったが、計画が頓挫してしまい現地で放置されている。
屋根にショベルの先端(クラムシェル)が載った状態で放置されている698号車。698はB編成の5号車に組み込まれていた。車体側面は落書きに覆われている。落書きに2016の文字が確認できることから、搬入後に被害に遭った可能性が高い。
かろうじて確認できる「698」の車両番号表記。
698と直角方向に置かれている912(手前)と800(奥)。さらにもう1両、奥に置かれている(車両番号判別不可能)。
912はP編成、800はB編成に組み込まれていた(800は6号車の先頭車として使用していた車両)。B編成は編成単位で廃車となったが、P編成は編成を組み替え、2017年8月現在でも現役である。
木材(枕木?)の向こうに僅かに見える697号車。697はF編成の1号車(先頭車)として使用されていた車両である。F編成も編成単位で廃車となっている。
別の位置から内部を見る。624・800・912ともう1両(計4両)が確認できる。
624号車はF編成の6号車(先頭車)として使用されていた車両である。未更新車で車内がピンク色の壁のまま残る貴重な車両であったが、廃車となりこの地に運ばれてきてしまった。
800号車の先頭側。運転台側の前面窓には編成記号の「B」の表記がそのまま残されている。日本とアルゼンチンでの半世紀以上の活躍(1964年〜2015年)、お疲れ様でした。

関連ページ:「ブエノスアイレス地下鉄−元 営団地下鉄500形」「営団500形 東京へ里帰り」

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