5000系引退

1964年の東西線開業当初から活躍してきた5000系は、ダイヤ改正前日の2007年3月17日(土)をもってその活躍に幕を閉じた。最後まで運用に就いたのは59F。引退に先立ち、2007年1月29日からはさよならヘッドマークつきで運転されていた。ここでは引退日前日である平日最終運転日の2007年3月16日、そして引退日当日の様子をお伝えする。
東西線から引退後も同編成は一足先にインドネシアに輸出された67Fと66F、東葉高速鉄道1000形と共にインドネシア・ジャカルタの都市鉄道「KRL JABOTABEK(JABOTABEK鉄道)」で活躍する予定である。運用終了後は2007年4月22日まで深川検車区に留置された。

関連ページ:5000系59F 川崎市営埠頭へ甲種輸送

引退日前日に午前中の59S運用に就く59F。妙典行き。

南砂町にて
妙典にて後継の07系と並ぶ。
妙典の留置線に入線し、中野行きとして折り返す。
葛西に入線。この後、中野より東陽町行きとなり、この日の運用は終了した。
引退日当日。西船橋駅5:12発の53S運用に就いた。未明の西船橋に停車中の59F。
原木中山に入線する59F。
早稲田に滑り込む59F。トンネルの支柱は塗り替えられたばかり。
高田馬場に入線する59Fを乗務員室背後から。
東葉高速線内への乗り入れも早朝の1往復が最後であった。

2枚とも八千代緑が丘にて
最終日も2往復JR線内へ乗り入れた。

上写真:荻窪にて
下写真:吉祥寺にて
中野に17:12に到着、東西線での全ての客扱いを終了した59F。
東陽町に到着した中野からの回送列車。本線自力走行もこれが最後。
全ての運用を終え、深川検車区に到着。
引退から1ヶ月近く経った2007年4月14日の59F。引退日数日後にさよならヘッドマークが取り外され、2007年4月中旬まで深川検車区の同じ位置に留置され続けた。運行番号は53Sのまま。2007年4月22日深夜に川崎市営埠頭へ向け、長年の住処を発った。
5000系運行最終日、初電の運用に入った5000系59Fが西船橋駅に入線する。
5000系運行最終日、西船橋始発の初電の運用に入った5000系59Fの車内の様子。
葛西に到着する、ヘッドマーク付きの5000系59F。
東西線でのすべての営業運転を終え、深川検車区へ回送されていく5000系59F。5000系最後の東西線の本線走行シーン。

関連ページ:5000系59F 川崎市営埠頭へ甲種輸送

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