広島電鉄906・プラハ市電7255 花郎台駅鉄道公園搬入

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2017年12月21日朝に広島市内の宇品外貿埠頭より船積みされた広島電鉄900形906は、2018年1月4日に花郎台(ファランデ)駅鉄道公園「京春線森の道」に搬入された。

同鉄道公園にはプラハ市電T3SUCS型7255号も2017年11月に先に搬入され、「ミカ5 56」蒸気機関車、ナローゲージ(水仁線)の「ヒョギ1」蒸気機関車及び客車も2017年5月18日にオリニ大公園から移設展示された。

広島電鉄906号とプラハ市電7255号は今後整備され、整備後は車内が公開される予定である。また、広島電鉄906号はソウル地下鉄6号線花郎台駅までの700mの軌道を整備したうえで、2018年中に運行(動態保存)を開始する予定である。

ソウル地下鉄6号線花郎台(ファランデ)駅4番出口の脇に続く、京春線旧線跡を活用した遊歩道「ときを駆ける森のレール」(韓国語:シガヌル コニヌン チョルギル スプギル(=直訳:時間を歩く鉄の道 森の道))。軌道は廃止時のままで、脇に歩道や街灯が設置されている。
写真右奥に見えるのがソウル地下鉄6号線花郎台駅4番出口で、写真奥が東側(KORAIL花郎台駅方面)。
旧線跡遊歩道を5分ほど進むと、奥に蒸気機関車、そして広島電鉄906号の姿が見えてきた!
花郎台駅鉄道公園の手前にある踏切跡。現在は歩行者は横断できないため、写真左奥にある信号で横断する必要がある。路面電車運行用に軌道整備時には、この踏切も復活する予定である。
「キョンチュンソンスプギル」(=京春線森の道)と書かれた、花郎台駅鉄道公園のメインの入口。
入口からは蒸気機関車、広島電鉄906号、プラハ市電7022号が見える。ここから先が花郎台駅の構内である。
花郎台駅鉄道公園の最も西側に展示されている、元 水仁線・水驪線のナローゲージの蒸気機関車「ヒョギ1」と、同じく水仁線・水驪線で運行されていた客車。「ヒョギ1」は1951年日本製で、韓国鉄道庁釜山工作廠で最終組み立てを行った車両とのことである。1951年〜1973年に運行後、1975年よりソウル市内のオリニ大公園で展示されていた。2017年5月18日に当鉄道公園に移設。
水仁線・水驪線の客車の車内。木材を多用しているが、内装はオリジナルのものではなく、復元と思われる。
鉄道公園を奥へ進むと、いよいよ広島電鉄906号とプラハ市電7255号が見えてきた。本来は無縁の両者が、第三国である韓国のソウルで出会うことになろうとは!事実は小説よりも奇なり。
2018年1月4日に搬入された、広島電鉄906号。写真は搬入直後(2018年1月6日)の様子で、広島電鉄時代のままで美しい外観を保っている。ビューゲルは整備前のため設置されていない。
この車両が鉄道公園で保存対象になった理由は、1960年代までソウルで運行されていた路面電車の車両に類似しているためとのことである(管理人注記:車両の外観や性能的に、この900形に類似していると言えるソウルの路面電車の車両は存在しなかった筈だが…)。
上写真と反対側の先頭。
下から見上げた906号。青空に映える。
花郎台の駅名標と906号。こんな組み合わせが見れるとは、花郎台駅廃止時に誰が予想できたであろうか。摩訶不思議な光景である。
車外には広電時代の各種表記がそのまま残されている。
車体裾の「大阪市電 昭和44年広電移籍」銘板。
諸元表記。
PASPYのステッカーもそのまま。
ブリル77E台車。
側面に貼られている案内文。内容は以下の通り。

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         路面電車補修後開放予定

1960年代まで韓国で運転されていたものと類似した路面電車で、
日本の広島で運転されていた電車です。
路面電車補修及び周辺整理前まで立入禁止です。

※1957年日本製作、2018年1月蘆原区へ無償譲渡

                蘆 原 区
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車内の様子。運賃箱やPASPYの装置が広島電鉄より搬出される前に撤去された以外は、ほぼ広電で活躍していた時のままである。車内には取付前のビューゲルが置かれている。
車内の各種銘板。
運転台。
花郎台駅のホームに佇む906号。まだ整備前だが、今にも動き出しそうだ。
路面電車自体が珍しく、さらに日本語表記がそのまま残る車両ということで、現地の方々も興味津々だ。
なお、日本から韓国に中古車両が譲渡されるのは史上初である。
花郎台駅の駅舎と906号。
花郎台駅の駅舎。廃止時の面影が残り、綺麗に整備されている。
2017年11月に搬入された、元プラハ市電T3SUCS型7255号。1989年製で、2016年までプラハで運行されていた。パンタグラフは整備前のため設置されていない。CKD TATRA製。
7255号を近くから。この車両が保存対象になった理由は、朝鮮戦争後にアメリカから譲渡された車両と類似するからとのことだ(が、実際は似ても似つかない)。むしろ、平壌市軌道電車で運行している同型(さらに、いずれもプラハより譲渡)が運ばれてきたことに奇跡的な運命を感じる。偶然ながらか意図してかは不明だが、朝鮮半島南北の首都に、プラハ市電出身のT3SUCS型が揃うこととなった。なお、悲しきかな両国民はお互いの国のT3SUCS型を見ることはできない。

なお、タトラカーが存在する東アジア・東南アジアの都市は、平壌・清津・マニラ・そしてソウルの4都市となった(日本の土佐電鉄にも一時期、元プラハ市電T3型の6319が存在したが、1度も土佐電鉄で走ることなく2006年に解体された)。
7255号を側面から。3扉車である。パンタグラフが未設置のため、少々違和感がある。
7255号の後位側。片運転台車で、後位側には運転台はない。
T2SUCS型は終点のループ線で方向転換して運行することが前提となっているため、扉もバスのように片側のみの設置。
プラハ時代の広告がそのまま残されている。
台車。インサイドフレーム方式で、中央には電磁吸着ブレーキを設置。
側面に貼られている案内文。内容は以下の通り。

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         チェコトラム補修後開放予定

チェコ・プラハで運行(1992〜2016)されていたトラム(路面電車)で、
補修後開放する予定です。
トラム補修及び周辺整理前まで立入禁止です。

※1989年チェコ製作、2017年11月蘆原区移転

                蘆 原 区
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窓に貼られたままのシッピングマーク。
7255号の車内の様子。ほぼプラハ時代のままで、車内には取付前のパンタグラフが置かれている。
独特な形状のFRP製座席もそのまま。現地で書かれた、壁や窓の落書きも残されている。
7255号が載っている軌道は前後とも途切れており、7255号は静態保存となる模様である。
大韓帝国時代の1899年に、朝鮮半島で最初に運行された開放型路面電車の模型。国立民俗博物館で2002年に製造(復元)されたもので、2017年11月に搬入された。こちらも整備後に公開予定である。
ミカ5形56号機。朝鮮戦争時に国連軍が発注したもので、1952年日本車両製。旧南満州鉄道(満鉄)のミカイ形を、第二次世界大戦中の見込み生産により余剰となっていた部品を用いて製造したものである。主に京釜線で運行され、引退後はソウル市内のオリニ大公園に保存されていたが、2017年5月にこの地へ移転された。
日が傾いてきた。夕陽を浴びて輝く906号。
日没後。ホームの照明を浴びて輝く。
夜の花郎台駅鉄道公園に佇む906号と7255号。
翌朝も訪問。霜が降りて寒い朝であった。
寒空の中で耐える。
ホームに掲げられた京春線の方面案内と906号。「鉄馬は走りたい!」
朝日を浴びる906号。写真奥に軌道が延び、ソウル地下鉄6号線花郎台駅前まで動態保存される日が待ち遠しい。

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