1966年に営団東西線と総武・中央緩行線との国鉄初の相互乗り入れ用として製造された地下鉄乗り入れ車両。103系を基本に6M1Tの7連で登場。
東西線乗り入れ用の車両は軽量化による省エネが期待でき、製造両数も少なかったためアルミ車体実用化の試験も兼ねてオールアルミ車体になった。地下鉄乗り入れ基準に準拠して先頭車の前面には非常用開閉扉が設置されている。また前照灯は地下鉄トンネル内での照射を考慮して左右に振り分けられた。台車は国鉄の通勤形車両としては初めて空気バネ台車(DT34形、TR204形)を採用。また、地下区間での騒音対策としてモハ301形に取り付けられた主抵抗器は送風機のない自然通風式であった。
1966年の大手町—荻窪開業時は前述のとおり6M1Tであったが1981年より10連化を行われた。新製から15年経過していたため増備車を新製するのは不経済なため、編成を組み替えての10連化となった。また、後に冷房化、側ドアのステンレス化も行われた。
登場から37年経過し老朽化が進んだため後継車のE231系800番台に順次置き換えられ、2003/6/10の09K運用を最後に全車が引退した。2003/08/03には三鷹〜高尾間でさよなら運転をし、同日高尾駅構内で「さよなら301系」イベントを実施した。そして、2003/08/10に上記イベントで使われた最後の301系が大宮に廃車回送され、301系は幕を閉じた。なお、クモハ300-4のみ解体されず、現在も大宮工場内に留置されている。(今後の処遇については不明) |