平壌地下鉄 革新線

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平壌地下鉄 革新(ヒョクシン)線は光復(クァンボッ)〜楽園(ラグォン)間8駅13.0kmを結ぶ路線である。全区間地下。全区間複線(右側通行)で、第三軌条集電方式(上面接触式)による直流825V電化(→1997年1月1日より直流750Vに降圧)。軌間は1,435mm(標準軌)。信号保安は自動閉塞式で、色灯式信号機が設置されている。また、開業時よりCTCが導入されている。車両基地は光復駅の西側にあるようだが、詳細な場所は不明。

1975年9月9日に革新(ヒョクシン)〜楽園 間、1978年9月6日に黄金ボル(ファングムボル;=「黄金原」の意)〜革新 間、1978年9月9日に光復〜黄金ボル 間が開通した。なお、三興(サムン)〜楽園 間にある光明(クァンミョン)駅は1995年に廃止された。

列車は終日4両編成で運転される。運転士・車掌の2名体制で運行され、車掌も運転士と共に先頭車の乗務員室に乗務する。車両はドイツ・ベルリン交通局(BVG)で使用されていたD型を1999年より使用している。詳細は別ページにて紹介する。こちらをご覧ください。

建設駅のみ2面2線の相対式ホーム(平壌地下鉄唯一)で、その他の駅は1面2線の島式ホームである。千里馬線とは戦勝(チョンスン)駅で接続している(地下通路で、千里馬線の戦友(チョヌ)駅と結ばれている)。また、戦勝駅付近には千里馬線との短絡線がある(目視で確認)。

外国人は原則、特別なツアー等に参加しなければ当路線に乗車することはできない。なお、当管理人は特別許可を得て、2019年7月に日本人としては3番目に革新線に公式に乗車した。


駅名の由来:
・光復駅:駅前のメインストリート「光復通り」から
・革新駅:駅前のメインストリート「革新通り」から
・戦勝駅:駅の所在地「戦勝洞」から


(路線図:管理人制作)

千里馬線に次いで、1975年〜1978年に開通した革新線。建築限界・車両限界・電化方式・軌間等の各種規格は千里馬線と同一で、車両も千里馬線と同様に元ドイツ・ベルリン交通局(BVG)のD型を使用している。

外国人の通常観光ルートに組み込まれている千里馬線乗車に対して、革新線は原則、特別なツアー等に参加しなければ当路線に乗車することはできず、謎に包まれた存在であった。当管理人は2019年7月に日本人としては3番目に革新線を公式に乗車した。

建設にて
革新線の西側の終点である光復(クァンボッ)駅の駅舎。光復通りの東端に位置する。
光復駅のホーム。乗降ホームが分離されており、列車は一旦留置線に入って折り返す。
光復駅の各柱には銅板のレリーフが飾られている。
光復駅のホームの出口へと続く通路。当駅は革新線の終点で、高層マンションが立ち並ぶ光復通りにも面しているため、利用客は多い。
光復駅のホームの東端にある、金日成主席の銅像。
光復駅の駅名標(楽園方面ホーム。次駅は建国駅)。
降車ホーム(当駅どまりの列車が発着)側の駅名標は、次駅表示がない。
光復駅の当駅どまりの列車が発着するホームの壁画。題名は「三池淵(サムジヨン)の春」で、風光明媚な三池淵の風景がホームいっぱいに描かれている(推定横幅:約60m超)。
光復駅の楽園方面ホームの壁画。題名は「三池淵の冬」。上記の反対ホームの壁画とサイズはほぼ同一。
光復駅に入線する、当駅始発楽園行きの列車。
革新線の元ドイツ・ベルリン交通局(BVG)D型の車内の様子。千里馬線で運行されている同型車両と同一仕様。
建国(コングッ)駅の駅舎。プルグン通りを挟んで真向かいに途中に国鉄平南(ピョンナム)線の普通江(ポトンガン)駅がある。
建国駅の駅舎内・改札口。自動改札機は千里馬線と同様に新型のものに交換済み。その隣に有人の切符売り場がある。また、千里馬線と同様に、LED式総合案内装置や路線図が書かれた総合案内板もある。
建国駅の総合案内板。目的地の駅を押すと、目的地までの経路が点灯する(乗換え駅は点滅)。現在いる駅(建国駅)は緑色のLED点灯で表示。
エスカレーター付近から見た、建国駅の駅舎内の様子。アーチを描いた出入口が特徴。
ホームへと続くエスカレーター。千里馬線と同様に非常に長い(深さは60m程度と思われる)。
地下側のエスカレーター乗降場の様子。黄色と緑に塗られた小屋はエスカレーター制御室。
ホームまで続く通路の途中にある売店。
建国駅のホームの様子。ホームの柱は大理石を使用している。
建国駅のホーム西端にある壁画。建国のために働く人々を現地指導する金日成主席。
建国駅の駅名標(楽園方面ホーム。次駅は黄金ボル駅)。
建国駅の駅名標(壁面)。
楽園方面ホームの壁画。題名は「楽園の普通江」で、普通江付近から見た平壌の街並みが描かれている。
光復方面ホームの壁画(題名不明)。
黄金ボル(ファングムボル;黄金原)駅の駅舎。駅はプルグン通り・烽火通りと慶興通りが交わる十字路に位置し、その西側に平義線の高架がある。
建設(コンソル)駅。平壌地下鉄唯一の相対式ホームである。当駅の両側数百メートルの区間は、平壌地下鉄で唯一の複線トンネルとなっている。
なお、このホーム構造を活かして、過去には朝鮮で放映されるドラマの別れ話のシーンの撮影にもよく使用されたとのことである。
建設駅に停車中の楽園行き列車。対向ホームから編成写真を綺麗に撮影することが出来る(裾部の緑色の塗装や、台車・床下機器も見ることが出来る)。
建設駅で離合する列車。
建設駅に入線する、光復行きの列車。第三軌条集電方式のため、屋根上はすっきりしている。
当駅はホームの両端に跨線橋があり、うち黄金ボル側の跨線橋が出口に通じている。
建設駅の跨線橋上にある壁画。建設現場を指導する金日成主席。
建設駅の駅名標(復興方面ホーム。次駅は黄金ボル駅)。
軌道は直結軌道が採用されている。第三軌条はホーム側直下に設けられている。
革新(ヒョクシン)駅の駅舎。革新通りと仁興通りの交差点に面している。
革新駅のホーム。
革新駅のホーム西端にある壁画。製鉄所を現地指導する金日成主席。
革新駅の出口へと続く通路。通路の途中にも、千里馬像と「共産主義を向いて」と刻まれた赤旗が描かれた壁画がある。
革新駅の駅名標(壁面)。
革新駅に入線する、光復行きの列車。
戦勝(チョンスン)駅の駅舎(茶色の建物)。黎明通りに面している。右隣には地下鉄道革命事績館が隣接している。
戦勝駅のホーム。当駅は千里馬線の戦友駅との乗換駅のため乗降が多い。戦友駅へは地下通路で接続している(地下通路は戦勝駅のホーム東側と、戦友駅のホーム北側を接続)。
三興(サムン)駅のホーム。当駅は金日成総合大学や平壌外国語大学の最寄駅である。










三興駅の柱のモザイク画。
駅名の「三興」とは、朝鮮では「知・徳・体」(知力・徳力・体力)を表す。そのため、柱のモザイク画は「新しい世代が知・徳・体を兼ね備えた国の担い手として育つ姿」が描かれている。
三興駅のホーム西端にある壁画。学校で学ぶ子供たちと共に歩く金日成主席が描かれている。
なお、朝鮮の義務教育は学齢前(=幼稚園):1年、小学校:5年、初級中学(=中学校):3年、高級中学(=高校):3年の計12年間である。
三興駅の駅名標(光復方面ホーム。次駅は戦勝駅)と、光復行きの列車。列車の発車合図を出す案内員の姿も見える。
三興駅の駅名標(楽園方面ホーム。次駅は楽園駅)。
三興駅の楽園方面ホーム。
三興駅の駅名標(壁面)。
東側の終点の楽園駅のホームの様子(三大革命展示館に展示されていた写真より)。
なお、三興〜楽園 間は外国人観光客の乗車が許可されることは滅多にない。
建設駅における光復行き列車の到着から発車までの様子。建設駅は1978年9月6日に開業し、平壌地下鉄で唯一の相対式ホームである。そのため、当駅は過去には朝鮮ドラマの別れ話のシーンの撮影にもよく使用されたとのことである。

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建設駅に入線する、光復行きの列車。建設駅は1978年9月6日に開業し、平壌地下鉄で唯一の相対式ホームである。当駅の両側数百メートルは複線トンネルになっている(その他の区間は平壌地下鉄全区間、方面別の単線トンネル)。

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革新駅における楽園行き列車の到着から発車までの様子。革新線は1975年9月9日に革新〜楽園間が開業し、革新駅は1978年9月6日に黄金原駅まで革新線が延伸されるまでは終点であった。ホームで流れている曲は「偉大な戦勝の名節」である。

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建国駅における楽園行き列車の到着から発車までの様子。建国駅は1978年9月9日に開業した。ホームには普通江から見た平壌の街並みの壁画がある。ホームで流れている曲は「あの方なしでは生きられない」。

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