千代田線支線5000系・6000-系 引退

長らく千代田線北綾瀬支線(北綾瀬分岐線)にて活躍してきた5000系及び6000-系(6000系一次試作車)だが、2014年5月に後継の05系に置き換えられる形で営業運転を終了した。2014年4月28日より05系が営業運転を開始し、6000-系が2014年5月16日、5000系が2014年5月30日の営業を以て引退した。

1978年12月12日に開通した北綾瀬支線では、開業当初より5000系2本と6000-系1本の3本(いずれも3両編成)によって営業運転を開始し、2000年2月には従来のセミステンレス製車体の5000系2本(5841-5327-5041、5846-5322-5045)が、東西線から転属したアルミ製車体の5000系2本に置き換えられた。2002年3月23日より同支線ではワンマン運転を開始している。

5000系・6000-系はいずれも東西線で走行経験のある車両で、奇しくも東西線に縁のある車両同士で置き換えられることとなった(5000系・6000-系→05系)。

5000系・6000-系の引退で、東京メトロで抵抗制御・界磁添加励磁制御の車両は消滅し、省エネ車両(界磁チョッパ制御車・VVVFインバーター制御車)率は100%となった。また、5000系は東京メトロ及び日本国内での営業運転から完全に引退した(現役車両はインドネシア・KRL JABODETABEKに譲渡された3編成(59F・66F・67F)のみ)。


北綾瀬支線5000系・6000-系編成表(2014年5月時点)

            ←綾瀬        北綾瀬→
 ・60F(6000-系):6000-1 - 6000-2 - 6000-3 1968年汽車製造製、1979年より北綾瀬支線で営業運転開始(1979年以前は各種試験車として使用)、1994年車体更新、2002年ワンマン運転・ATO運転対応改造、2010年貫通路改造
 ・61F(5000系)  : 5951  - 5455  - 5151   1967年日本車両・川崎車輌製、1999年まで東西線で運行、同年に深川工場で転属改造実施(ワンマン運転・ATO運転対応改造含む)、2000年より北綾瀬支線で営業運転開始

 ・62F(5000系)  : 5952  - 5458  - 5152   1967年日本車両・川崎車輌製、以下61Fと同様

始発前の綾瀬検車区に佇む、千代田線北綾瀬支線の両雄(6000-系60F・5000系61F)。東京メトロの現役最古参の車両(1967年・1968年製)で、長らく同線の主として活躍した。
約90度のカーブを曲がって綾瀬駅に入線する5000系61F。
北綾瀬駅に入線する61F。東西線での5000系引退後、唯一東京メトロ線内で5000系に乗車できる路線であった。アルミ車体の5000系は国内外含めて当路線で活躍する2編成のみが残存。
綾瀬検車区を出庫する61F。2014年3月15日のダイヤ改正で北綾瀬支線の列車が増発されたため、休日日中にも出庫する姿を見ることができるようになった。
綾瀬検車区を出庫して北綾瀬へと向かう61F。東西線時代に先頭車の屋根上に設置されていたJR線用の列車無線アンテナ及び信号炎管は深川工場での転属改造時に撤去されている。
綾瀬検車区にて南北線9000系、5000系61F、6000系18Fとの3並び。
綾瀬検車区へ回送される小田急60000形MSEと並ぶ、5000系62F。
綾瀬検車区内で留置中の62F。
5000系2編成(61F・62F)に搭載されたシングルアーム式パンタグラフ。営団地下鉄の車両としては初の採用であった。
中間車の2箇所に設置された側面の監視カメラ。通常ドアが開閉する側(北綾瀬行き列車基準で進行方向左側)のみ設置。
側面の帯はステッカー化されている(改造前は板)。帯の幅も若干太くなった。
車内の様子。座席のモケット・床敷物・つり革等が更新されている。
車端部。優先席のモケットの色は千代田線6000系等と同様に青。
扇風機。中央にあった営団地下鉄のSマークは東京メトロ化時に目張りされた。
5151の日本車両の製造所銘板(昭和42年製)。
5952の川崎車輌の製造所銘板(昭和42年製)。
5952車内の車両番号プレート。
乗務員室仕切部。助士席側の窓は信号機器・ワンマン運転関連機器の増設により転属改造時に封鎖された。
運転台。コンソール等の更新やブレーキハンドルの固定化、ワンマン関連機器の増設が行われている。千代田線北綾瀬支線の5000系は、同形式の営業用車両としては唯一ATO運転に対応しており、出発時はブレーキハンドルの左下に並んだ2つの白いボタンを同時に押下してATO運転していた。
運転台の右横には、中間車2箇所の側面監視カメラからの映像を映すモニターと、ドア開閉ボタン・乗降促進放送ボタンが設置されている。
方向幕の駅名対照表。
北綾瀬支線開業時から活躍する6000-系60F(通称:ハイフン車)。北綾瀬支線開業前は試験車として使用され、AVFチョッパ制御やVVVF制御の試験も行われた。1968〜1970年に東西線で各種走行試験が行われた(東西線での営業運転は行われていない)。

綾瀬にて
北綾瀬へ向かう60F。前面の行先表示器は1994年の車体更新時に千代田線(本線)の6000系と同様の3色LEDに更新されたが、2000年頃に幕式に戻されている。一時期は液晶式も試験していた。

綾瀬〜北綾瀬にて
北綾瀬駅に入線する60F。
本線の6000系と離合。前面の傾斜角や屋根肩の断面形状、アンチクライマーの形状の違い等が確認できる。
綾瀬検車区への6000系05Fの回送列車と、北綾瀬駅に停車中の6000-系60Fが並ぶ。
6000-2の車外の車両番号プレート。
側面の行先表示器跡。行先表示器は全車両の両側面に設置されていたが、現在は撤去されている(5000系は設置されていない)。
6000-系の車内の様子。竣工時から冷房改造や座席のモケット・床敷物・つり革等の交換が行われている。
貫通路。元々はキノコ型の幅広貫通路であったが、2010年に貫通扉付きの狭幅のものに改造された。
汽車会社(汽車製造)の製造所銘板。
6000-3車内の車両番号プレート。
6000-系の乗務員室。前面非常扉の背面には階段が設置されている。前面非対称のデザインも、日本ではこの6000-系から始まった。
2004年12月23日に、千代田線開業35周年・北綾瀬開業25周年を記念した6000-系60Fの特別列車が湯島〜北綾瀬 間で3往復運行された。6000-系が千代田線(本線)を営業列車として走った数少ない機会である。北綾瀬ではドアを開けず、途中駅はすべて通過した(乗降は湯島駅のみ)。イベント列車の名称は「6000-(ハイフン)号」。この列車の運行のために、当日は湯島駅に3両停車位置が設けられた。
「6000-(ハイフン)号」のヘッドマーク。
側面の記念ステッカー。
6000-号の車内の様子。普段は体感できない6000-系の地下区間での走行や、北綾瀬支線の営業最高速度の60km/hを上回る高速走行を楽しむことができた。
ATO・ワンマン運転を行っている。営業最高速度は60km/h。

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昭和の雰囲気が残る5000系の車内。2014年3月15日のダイヤ改正で北綾瀬支線の列車が増発され、混雑が緩和された。

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5000系独特のブレーキ緩解音を高らかに北綾瀬駅を発車する。

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ブレーキ緩解音を何度も鳴らしながら低速で北綾瀬駅に入線する5000系。

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太陽を浴びて綾瀬駅に入線する5000系。

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常磐線の列車が行き交う中、北綾瀬へ向けて発車する5000系。

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北綾瀬支線専用の綾瀬駅0番線より発車する列車。

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営業運転開始前に5000系抵抗制御車と同様の足回りに換装された6000-系。5000系が界磁添加励磁制御に改造された後は、営団地下鉄・東京メトロの営業車両で唯一の抵抗制御車である。

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コンプレッサー音を響かせながら北綾瀬駅に入線する6000-系。

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