営団500形 東京へ里帰り 車両細部観察

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500形と02系B修繕車。500形の帰還により奇跡的に実現した、新旧サインウェーブ(サインカーブ)の並び。
後輩の02系との再会。500形を置き換えた02系も、月日が経ち数年後には置き換えられる側となる。
丸ノ内線のシンボルのサインウェーブ(サインカーブ)が再び本家で見られるようになったこともさることながら、「Metrovias」のロゴが地球の反対側の東京で見ることができたのも感慨深い。
ドアの窓に貼られた「Subte」の啓発文「Dejemos bajar antes de subir」(乗車する前に降りよう(=降車優先))。メッシュ状のフィルムによってラッピングされており、車内からは外が見える。
「Metrovias」仕様のドアや窓のステッカーも、そのまま残っている。
「窓から身を乗り出すな」のピクトグラム。
ブエノスアイレスで設置された、発車ブザーを流す車外スピーカー。ブエノスアイレス地下鉄B線は全区間地下のためほとんど観察できなかったが、今回中野車両基地にて形状や設置方法を様々な角度から見ることが出来た。スピーカーの配線は屋根肩の通風口の中から延びている。
771号車の前面。前面窓には「U」の編成記号ステッカー、そして乗務員扉の窓には「乗務員室」の表記が残っている。
「J. M. de Rosas」の行先表示ステッカー。中野から遥か約18,000km先の地名を表示している。
助士席側のレスポンスブロック。ブエノスアイレスでは特に使用されていなかった。
584号車に残る、行先表示器の左右に設置された方向識別灯。
FS349台車。
1996年7月20日、丸ノ内線500形の記念乗車会(後楽園→中野車両基地)及び中野車両基地での記念撮影会が行われた。あれから20年+1日経った2016年7月21日、再び500形が丸ノ内線に帰ってこようとはあの時誰が思ったであろうか。
当時の記念乗車会のポスターと500形の並び、20年の時を超えて中野車両基地前で再び。(撮影用に一時的に貼り付け)
1996年7月20日の丸ノ内線500形記念乗車会のポスター(複製品)。
キャッチフレーズは「Gracias ありがとう!"赤い貴公子"〜また、ブエノスアイレスで逢いましょう〜」。右上の500形の写真は、ブエノスアイレス地下鉄B線でデビュー直後のものが使われている。
遥々帰ってきた赤い貴公子と、ブエノスアイレスの普通乗車券「Subtepass」・ICカード「SUBE」で記念撮影。

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